仁禮洋志

伸縮する輪郭


2021年5月19日(水)〜5月29日(土)

昔、友人から靴を借りて履いたことがある。 その靴は私の靴と同じサイズであるにもかかわらず、私の靴と比べて内側の形や靴底の減り方が大きく違っていて、 履いた時の感触は大きく異なり、歩いた時の地面の感触もまた大きく違って感じられた。 私の普段履いている靴が、新品の状態から徐々に私の歩みによって足と地面との間で摩耗して、 私が地面を歩くために最適な形へと変わっていったように、その友人の靴もまた、 友人が地面を歩くための最適な形をしていたのだろう。

しばらく履いて歩いているうちに、友人の足がどんな形をしていて、日頃地面をどのように歩いているのかが、 少し感じ取れた気がした。 歩き心地は気持ち悪かった。 そして、私の足にできた靴擦れは他者を理解した証だったのかもしれない。 再び履いた自分の靴は私の足にぴったりと合っていた。自分の靴は確かに自分の形をしていた。 他者を理解することで、私は自分の形を知ることができた。

靴の形にその持ち主の癖が反映されるように、人の住む部屋やその外にある無数の道にも、 人に住まれることや人に通られることで人々の癖が反映されているのかもしれない。

例えば、マトリョーシカのような構造で身体と世界の関係を捉えてみる。 私やあなたはそれぞれの身体を持ち、その身体はそれぞれの家を持ち、家は都市にあり、都市は地球にある。 身体は世界の中に生きていて、世界は身体の癖が反映されることで最適な形へと常に変化しているのではないか。

また、私は以前、野犬と遭遇したことがある。こちらに向かって吠える姿に、 私は犬の威嚇の意思と犬に対する自己の恐怖を感じて距離をとった。 その近づきづらさは、まさしく畏怖だった。 これが誰かに飼育され人慣れした犬であったなら、きっと近づくことができただろう。 この距離の調節は、人と人との関係の中でも同じく起こっているだろう。 我々は他者の様子を把握して、それに感応をすることで、距離を調節することができる。 そうした距離の調節がそれぞれの生活圏を形作っているのではないか。 世界はそれぞれの身体の生活圏によって仕切られている。

我々は最適な生活圏を形作る一方で、その仕切りは靴擦れのように身を削り、 私やあなたの輪郭を形作っているのかもしれない。 そして、その輪郭は他者を理解することで自覚ができるのかもしれない。

スポーツチャンバラという剣道に似たスポーツをやっていた。 その試合では、相手に自分の攻撃をどうやって当てるか、 攻撃を当てるために相手にどうやって隙を作るか、といった駆け引きがあった。 駆け引きは一秒にも満たないわずかな時間の中で行われ、その時間は走馬灯のように長く感じることがあった。 また、試合の中では互いの間合いや構えは常に変化していて、対峙する相手は実際の体格よりも 大きく見えたり小さく見えたりしていた。 自分の手が予想以上に伸びて、離れた相手に攻撃を当てられたこともあった。 試合はきっと身体と時間の輪郭から少し解放される場所だった。

私にとって作品を作ることは、そうした身体の輪郭や身体を囲む仕切りを確かめたり、いじったり、 はみ出したりできる可能性を考えることである。


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